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所長ブログ「ケンさんが往く」
2025.03.09
「積ん読」という言葉があります。
広辞苑によれば、書物を読まずに積んでおくこと、とあります。
その意味では、せっかく読もうと思って買った書物を読まないのですから、全く無駄な金を使っていることになるので、否定的な言葉になるのですが、どうして書物にだけ、こういう言葉があるのですかね。
翻って自分を顧みると、まさに「積ん読」状態です。
面白そうだと思って買ってはみたものの、読んで行く途中で飽きて、そのまま書棚のゴミとなっている本が何冊かあるのは確かですが、そればかりではありません。
むしろ興味はあるのですが、迫っている仕事の本や資料に先に目を通す必要があって、ついつい読みそびれている本が結構あります。つまり、そのうち読むことがあるだろう、と思って書棚に置いてある本です。
狭い事務所や家の私の部屋の書棚にもそんな積ん読本が溢れているので、スペース的なことだけを考えれば全く無駄ですね。
特に最近はネット検索すれば大抵の情報は得られますので、特に、分厚い辞書類や百科事典なんてものは前世紀の遺物となっています。
デジタル化で、極論すれば事務所や書斎にはパソコン一台あれば、ちょっとした調べ物をしつつ仕事をするには困りません。仕事で参照する資料や文献等もデジタル化してパソコンの中に入れておけば良いですから。
ところが「積ん読」という言葉がわざわざあるように、アナログ的に書物に囲まれる、ということの効用もある気が最近するのです。
書物に囲まれていると、なんか頭が活性化するような。
沈思黙考するには、パソコンだけと向き合ったがらんとした空間ではなく、沢山の本の背表紙が見える空間の方が良いのではないか。
テレビで時々見る研究室の学者のバックには、大抵沢山の本が並んだ書棚がありますよね。
以前はこれは学者の権威づけのための飾りだな、と思っていましたが、最近は、うんやっぱり「積ん読」は知的作業の場には必須だもんな、と思うようになりました。